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1:パール:
2015/02/14 (Sat) 22:43:39
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「何か書いた気がする」
息子がよく言うセリフです。
どこかに提出するものだったり、家族が出す予定の郵便物だったり
誰かにあげるものだったり。
脅迫めいたことを書いて渡してしまう気がするらしい。で、捕まる。刑務所にはいる。人生はめちゃくちゃ・・。
最近の一番の面倒な恐怖はペン。
目につくところに置いてほしくないらしい
前にしていたバイト先でも書くことは避けていたし、持ち歩くなんてもってのほか
最近はじめた自宅での商売も書くことは一切避けて
あれこれと面倒な手段を使って書かずに済むようにしているので時間の無駄はこの上ない。
この時間の無駄が自分でもイライラするらしい
うんうん。このイライラが克服のチャンスである
今までも「めんどくさい」が克服の手助けをしてきた
あとはタイミング。
ちょっとしたタイミングが大事らしい
それはけっこう新しいものにすると出来たりする
気分転換?
新しいノートを買うと「よし!今日からがんばろう!」って気持ちになるもんね。
めちゃくちゃかっこいいペンでも買ったらいいんじゃない?と言うと
それもいいかもね・・って。
そんな小さなきっかけで大きな変化が生まれるかもしれない
まぁ、それも自分のタイミングなんでしょうけど。
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6:パール
:
2015/07/13 (Mon) 09:55:35
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たつるさん
いつの間にか5年・・というのがココロに染みますね。
生きていたら嫌でも人間って強くなるのかもしれないけれど
OCDを抱えて生きるってその何倍も強くなってるんじゃないかなぁ
自分の気持ちに素直に。って私も実感しています。
殺意や悪意に人一倍罪悪感を感じるからこそ加害恐怖を引き起こしているなら
そんな気持ちすら認めたら楽になるのかなと思います
まぁそれが難しいんだけどね。
出会いは待っていても来ないぜよ。
行動行動!(笑)
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5:たつる:
2015/07/12 (Sun) 20:21:06
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いつの間にか、体調を崩して仕事に行けなくなって5年が過ぎてた。
この時期になると思い出す(^_^;)
大変だったなぁ、5年前…。しばらくはジタバタともがいていたけれど、加害恐怖の症状が激しくなって、見える景色が真っ暗になってしまった。。
光の差さない場所から、確かな光の指す場所に導いてくれたのは、周りの人達のお陰だっただろう。
独りでなんか良くなってないなぁとつくづく思う(>_<)
5年前の自分に何か言えるならば…何と言うか…
自分の気持ちに素直に生きれば必ず良くなるよ、そしてそのいらない鎧は今すぐ取りなさいっ!!早く脱ぎなさいっ!!
5年後は想像も出来なかった展開になってるよ〜(^^)
そんな感じかなぁ(;´д`)
ここからメンヘラ6年目に突入です。いい出会いがあるといいのだけれど(*^^*)
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4:パール:
2015/05/13 (Wed) 09:35:30
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ペンを部屋に持ち込んで使うタイミングがまだつかめないらしい
新しいペン(イタリア製じゃないけれど・・ww)は買ったんだけどなぁ。
消せるボールペン。便利だね~
家でやっている仕事が忙しすぎてエクスポージャーで頭を抱えている場合じゃないらしい。
ペンを持ち込んで、何もできなくなるかも知れないから、そんな時間がない。・・・んだって。
そんな時こそチャンスな気もするんだけど、本人が無理っていうんだから仕方ない。
仕事と言ってもお客さん対応は無理なので私が手伝っている。(それがまた忙しい)
たとえば梱包とか。
私が見ていないと封はできない。送り状の近くに行かないなど。(変なものを入れるとか書く恐怖)
出来る事は少しづつ増えているけれど、忙しさがこの先のチャレンジを妨げているのがどうなんだか。
生きていくには稼がないとならないけれど、お前まず、病気を治せ!と思うのは間違いかしら?
大谷じゃないけれど、うまいこと仕事とエクスポージャーの二刀流ができるといいけどね。
まぁ、とにかくそのタイミングを待つ。ひたすら待つ。
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3:パール:
2015/02/15 (Sun) 18:00:09
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最近は車載カメラが結構メジャーになってきていて
人をはねた?・・・の加害恐怖にはありがたい機能なのかも。
結局確認するわけだから意味がないのかもしれないけれど
確かめることが可能だ。という安心感で運転出来る人もいるのかもしれない。
ところでこの安心感はOCDにはどうなんだろう
大丈夫はダメ!というから病気の改善には駄目なんだろうけれど
生活の向上にはなる。
OCDは治したいけれど安心感だけで出来る事が増えるのは嬉しい。
そうやってOCDと共存していけばいいことなのかなぁ・・
イタリア製の万年筆・・私も欲しかったりして(*^_^*)
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2:ゆうじ:
2015/02/15 (Sun) 02:45:08
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僕は、現在、加害強迫で苦しむことは少ないですが、加害強迫に陥る可能性は十分あるように思っています。
小学、中学の時代、卒業式など、厳粛な儀式が行われている最中、自分が大声を上げてその場をメチャメチャにしてしまうイメージが浮かび、ジリジリと脂汗を掻いたりしていました。
最近でも、僕が今お休みしているゴスペルグループがライブを行った時、ステージの上で、僕一人、全く関係のない歌を歌って、ステージを壊す場面が浮かんだり、
時々、出掛けるライブカフェで、ステージで一生懸命歌っている人に、「下手くそ!」と叫ぶ自分を想像したり、と、加害強迫に近いところに、僕の心はあるように思います。
それでも、僕の心の中には、「絶対、自分はそんな行動を実際には起こさない」と言う確信のようなものがあり、それが、ストッパーになって、僕を救ってくれています。
その確信と言うかストッパーが、何なのか、自分でもはっきりとは分からないけれど、もしかしたら、これかな、と思うものはあります。
それは、「自分がされて嫌なこと、傷付くことは、絶対、意図的には、しないだろう」と言う思いです。
僕は、自分の不用意な言葉で人を傷付けたのではないか?と言う加害強迫が今でもあり、それが、対人恐怖に繋がっていました。
それほど人を言葉で傷付けることが嫌な僕が、意識して人を傷付けることがあるだろうか?あり得ない!
そんな意識の流れがあるのかも知れませんね。
ただ、僕のストッパーは、「言葉」と言う限定付きですが。
また、僕のストッパーは未来に対しては有効でも、過去に、「してしまったのではないか?」と言う不安に対しては、効果が薄いみたいです。
強迫性障害に関して、「時間の流れ」は、とても重要なものに思います。
この世に絶対的な神様がいて、過去のどんな時間どんな場所で起こったことも再現して見せてくれたらどんなにいいだろう!!
OCD患者なら、一度は、そんな夢を見たことがあるのでは?
めちゃくちゃかっこいいペン!
イタリア製の万年筆など、どうかな?